この事例の依頼主
30代 男性
飲酒の上、高速道路を高速度で運転し、ハンドルの制御が効かずに同一方向に進行中の自動車に追突し、乗車中の数名を路外に転倒させ、後遺障害を残す重傷を負わせるなどした、危険運転致傷罪の事案。捜査段階では、一部の事実を否定するなどして反省の態度が不十分で、捜査関係者や当職にも相当な悪態をつき、家族との関係も悪化するなどしたが、当職との接見を重ね、心を通わせていった結果、事件に向き合うようになっていった。
やんちゃいっぱいな方で、捜査段階で撮影された各写真の態度や容姿にもなかなかのものがありましたが、複雑な人間関係や自身の生い立ちから、孤独と疎外感が見え隠れする方でしたが、綺麗な心を持っていることを、当初から感じていました。その孤独の正体に迫ったときに、「何で弁護士がここまで人の心にずかずか入ってくるんだよ」と怒鳴り散らしてきました。私は、「お前と友達になりたいからだよ」と怒鳴り返し、「そんなわけねえだろ、てめえに何が分かるんだよ」と言っていましたが、この本気のやりとりで、それまでの距離感ある会話から、距離感がぐっと近づきました。これからでした。彼は、どんどん、心を私に開いてくれ、それまでは、自分を良く見せようと本音で語ってくれていなかった部分についても、自分の汚い部分を見せて本心を少しずつ出して呉れるようになっていったのです。そして、徐々に、被害者の想いや立場に思いを致せるようになり、思いやりの言葉が出てくるようにもなりました。そして、自分自身、それまでは確たる夢や覚悟がなかったように見受けられましたが、将来の夢を共に語るようになり、その結果、「出所したら、ケバブ屋をやりたいです」。こうはっきり言うようになり、そのための勉強を中で始めることになりました。家族にも、あれこれそのための書籍や情報の入手を依頼するなどして、将来への計画と実行が、収監されたその中で始まったのです。合わせて、交通被害者の境遇や後遺症の内容を理解するための書籍などもたくさん読み、自分の犯した罪と向き合うようになりました。裁判では、捜査段階とは全く別人ではないかと思うほど、情に満ちた、人間としての態度と謝罪を行うことができ、検事も、「どうしてこんなに変わったのか」と驚いておりました。判決は、実刑判決ではありましたが、当初予想された刑よりも、大分減刑されたように感じました(裏話ではありますが、裁判の態度を見た検事が求刑を下げたようでして、ただ逆に、求刑が低かったので、さすがにあまりそれ以上大きく判決での刑が下がることまではなかったです)。そして、裁判官が、「あなたは、弁護人に会えて、本当に運が良かったです。ここまでやってくれる人は、まずいません。しっかり、更生の道を歩んで下さい。」という趣旨のことを、かなり異例だとは思いますが、言ってくれました。
出所後、彼からは連絡があり、お酒を共に交わしました。絶対に再犯はやりたくないと口にし、やりたい仕事の相談を現在も諸々と受け、できる範囲での支援をさせていただいております。弁護士冥利に尽きます。本気で向き合ってくれる友達や家族がいなかった環境、不運から、更生への舵切りのタイミングが遅かったという、典型事例だと思います。悪いことを、利害打算なくやってしまう人は、実は、利害打算で自己保身で生きている犯罪歴のない人間よりも、よっぽど人間らしく、優しく、人との信頼関係・友情を大切にするということは、よく聞く話です。だから、私は、問題がある、どこかが欠けている、と言われてしまう、いわゆる悪い奴、が好きです。人間らしい、素直で嘘のない、心が綺麗な人だと思うからです。嫌いだと、本気で弁護はできないんですね。というよりも、自分自身が、どうしようもない人間だったので、自分自身が最低の人間だとしか思っていないことから、誰かを卑下して見るという発想がなく、卑下して見られる目線に怯える感覚を誰よりも理解しているので、ただ普通に接しているだけです。普通でない扱いをされること自体が、誤りであって、あとは、きっかけを与えるだけです。自分が何か偉い、あるいは正しいと勘違いしての、上から目線の更生の押しつけは、私たちのような者への心には、何も響きません。偉いって何?普通・正しいって何?という発想しか持ち合わせておらず、そこの勘違いを敏感に感じ取ります。更生へのきっかけをつかめないでいる場合には、是非、ご相談ください。人は必ず変われるとの信念の下、一緒にそれを模索していきます。