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「いじめ物語の呪縛から子どもを解放せよ」 北澤毅・立教大学名誉教授 <いじめ問題の解決法【3】>
2025年01月05日 09時12分
#いじめ自殺 #いじめ物語 #北澤毅 #いじめ報道

「いじめ」が社会問題化してからおよそ40年が経過したのにもかかわらず、なぜ「いじめ問題」はなくならないのか。

「私達の社会は『いじめをなくしたい』と願いつつ、意図せずに「いじめ物語」を再生産し、結果として「いじめ自殺」という悲劇を生み出すことに手を貸してしまっているのかもしれません」

立教大学名誉教授の北澤毅さんはそう指摘する。最後は、いじめ問題を解決するために社会ができることを考える(全3回の3回目)。

「いじめ」が社会問題化してからおよそ40年が経過したのにもかかわらず、なぜ「いじめ問題」はなくならないのか。

「私達の社会は『いじめをなくしたい』と願いつつ、意図せずに「いじめ物語」を再生産し、結果として「いじめ自殺」という悲劇を生み出すことに手を貸してしまっているのかもしれません」

立教大学名誉教授の北澤毅さんはそう指摘する。最後は、いじめ問題を解決するために社会ができることを考える(全3回の3回目)。

<【5章】「いじめ物語」を解体する(その2)-「いじめ問題」の成立背景を知る>

5(1)物語の両義性-束縛と解放

「いじめ物語」に囚われるからこそ「いじめ→いじめ苦→自殺」という意味世界を生きてしまうのだとすれば、「いじめ物語」がいつどのように成立したかを理解することも、「いじめ問題」を解決する上で重要な契機となるのではないでしょうか。

言い換えれば、なぜ私達の社会は「いじめを自殺の動機や原因とみなすようになってきたのか」を理解することが「いじめ苦」からの解放につながるのではないかということです。

このように言うと、「いじめられて苦しいと思うのは当たり前ではないか。物語論や歴史など何の関係があるのだ」といった強い反発が起きそうです。

確かに、ある行為を「いじめ」と呼ぶかどうかにかかわらず、「無視されたり嘲笑されたり」すれば誰でも傷つくでしょうし、殴られれば痛いのは当たり前です。

私達の日常生活を振り返れば、誰でも深く傷つく経験をしたことがあるはずですし、この種の経験から完全に逃れることなどできません。

ただ、ここで問題にしたいのは、傷つく経験が、屈辱、怒り、悲しみなど、様々な感情をもたらす可能性はあるものの、必ずしも「自殺念慮」と結びつくわけではないということです。

ところが、どのような経験であったとしても自分の経験を「私はいじめられている」と捉えるなら、ほぼ自動的に「いじめ物語」に囚われることで孤独に陥り「いじめ苦→自殺」という道筋を歩み始める危険が生まれるのではないかということです。

ただここで確認すべきは、「いじめと自殺が結びつく」のは当たり前でも何でもないということです。

そもそも私達が「当たり前」と思っているすべてのことが、過去のどこかの時代に作られた約束事です。

私達はそれらの約束事を「常識」「規範」「因果」などと名づけ、それらを守るよう子ども達に教え諭し、子ども達もまたそれらを守ることが当然と思うようになっていきます。

もちろん、だからこそそれらの約束事は私達の生活を支える重要な基盤となるわけですが、同時に、私達を縛りつける力でもあるわけです。

そしてまた、「物語」も同じような働きをしています。

物語は、私達の人生に安定をもたらしますが、それは同時に物語に拘束されることでもあるわけですから、そのことで苦しむ人が出てくるのは避けがたいところがあります。

しかし、ある物語に囚われ苦しんでいる人間を救い出すのもまた別の物語ということになります。なんだか面倒くさい、そんなものいらないと思うかもしれませんが、そうはいきません。

あなたも私も意味の世界を生きている、それが人生を生きるということですから、物語から逃れることなどできません。

ですから、「そんなの当たり前だろう」と言って考えるのをやめるのではなく、常識や物語とはどういうものかをしっかり考え理解する必要があります。

これこそが、自己を相対化する重要なやり方の一つですし、そういう狙いを持って、「いじめ物語」が成立してきた歴史を振り返ってみたいと思います。時代は1980年まで遡ります。

5(2)高石市事件の初期報道-自殺原因をめぐる攻防

1980年9月16日、大阪府高石市の中学1年生が自殺をしました。自殺の原因について朝日新聞は、「中一の子の自殺原因、親が調査 同級生に脅されて 殴られ“金策”に困って」(1980年9月27日)という見出しをつけて報じています。

本文を読むと、警察は当初、「気の弱い“いじめられっ子”の自殺」という見解を表明したようですが、遺族が「そんなささいなことで死ぬような子ではない」と考え独自調査をした結果、「恐喝」の事実をつきとめたと書かれています。

私がこの新聞記事のなかで注目したいのは次の2点です。

第1に、「“いじめられっ子”の自殺」に「気の弱い」という修飾語が追加されていることです。ここには、「いじめ」だけでなく「気の弱い」という性格特性があったからこそ自殺したのだとする警察判断が働いているように思います。

そして第2に、遺族もまた「いじめ」といったささいなことで自分の子どもが自殺するはずはないと考え独自調査をした結果、「恐喝」の事実をつきとめたとされていることです(同時期の読売新聞は「自殺の原因はリンチ」(1980年9月27日)、毎日新聞は「中一の自殺原因は学校暴力」(1980年9月28日)という見出しを掲げています)。

ここから重要な仮説が導けるのではないでしょうか。

つまり、警察も遺族も、「いじめ→自殺」の結びつきを直接的な因果関係とはみなさず、「いじめ」と「自殺」との間に「気の弱い」や「恐喝」などの要因を媒介させることで、子どもの自殺という不条理な出来事を理解しようとしていたのではないかということです。

それはつまり、1980年当時の日本社会には、「いじめ」単独で自殺の原因とみなされることはなかった、言い換えれば、まだ「いじめ物語」は成立していなかったのではないかという仮説です。

そしてその後、この事件は劇的な展開を見せることで、「いじめ自殺」事件の先駆的事例としての地位を付与されることになります。

5(3)「校内暴力自殺」から「いじめ自殺」へ-高石市事件の理解枠組みの転換

この中学生の自殺を報じる新聞記事のなかに、「T君の自殺後、M教諭がクラス全員に行った調査では、38人中7割近くが、なんらかの形で、T君がいじめられていたことに気づいていたことがわかった」という一文があります。

現代を生きる私達がこの記事を読めば、まず間違いなくT君は「いじめを苦に自殺をした」と理解するのではないでしょうか。

しかし、この記事の見出しは「“校内暴力”12歳(中一)の自殺」となっていますし、リード文のなかにも「校内暴力が背景にあった今回の自殺事件」と書かれています(読売新聞:1980年10月28日)。

そして翌年(1981年)、遺族側が損害賠償請求訴訟を提起したことを報じる見出しも「校内暴力わが子を奪った」(朝日新聞:1981年5月20日)となっていますので、依然として「校内暴力」が生徒の自殺を理解する枠組みとなっていたことが確認できます。

みなさんは驚くかも知れませんが、これこそが、本事件に対する当時の社会の理解の仕方だったということです。

ところが、5年後に和解が成立した時の見出しは、「『いじめで自殺』の中学生 加害者家族にも責任」(朝日新聞:1986年4月1日)となっており、「いじめ自殺」という言葉が使われています(同日の毎日新聞見出しは「いじめ自殺に慰謝料」。読売新聞は記事なし)。

そして、朝日新聞の本文記事冒頭では「“いじめを苦にした小中学生の自殺が深刻な社会問題になっている中で、先がけ的な裁判として注目されていた”大阪府高石市の中学生自殺損害賠償訴訟」(“”は筆者)と、「いじめを苦にした自殺が社会問題になっている」という現状認識が表明されています。

自殺直後やその1年後の民事提訴段階の報道では、リンチや校内暴力が原因での自殺とされていた事件が、1986年4月1日の和解成立時の報道では「いじめ自殺」となっているわけです。

つまり、同じ事件についての理解の枠組みが、数年の間に劇的に転換したことになるわけですが、なぜこのようなことが起きたのでしょうか。

実はここにこそ、「いじめ」が「自殺」と結びつき「いじめ物語」が成立する歴史を解読する鍵があります。

その時重要なのは、この数年間で変化したのは、決して「いじめの実態」などではなく、「いじめ」や「子どもの自殺」についての私達の理解の仕方なのだということです。

高石市事件は、そうした社会の変化を読み取る上で重要な事件であるということです。

では、1980年代前半の日本社会で、子どもの「いじめ」や「自殺」をめぐってどのような変化が起きていたのでしょうか。

5(4)水戸市中学生自殺事件への注目

1980年代前半は「少年非行の戦後第3のピーク」と言われた時期で、教育問題の主役は少年非行や校内暴力でした。

子どもの成長や発達との関連でいじめ問題も話題になることはありましたが、喧嘩と同様いじめも、子どもの成長にとって必要な友達同士のトラブルであるという考え方が主流でした。

もちろん、今から思えば「いじめ自殺」と思えるような中学生の自殺報道もありましたが、当時は、子どもの自殺という結果の重大性は注目されていたものの、自殺の動機がいじめかどうかは注目されていなかった。

つまり、「いじめ」単独で自殺の動機になりえるとは考えられていなかったということです。

その後、こうした状況が大きく変わっていくのは1984年以降になりますが、決定的な転機となったのは水戸市の中学生自殺事件(1985年1月)ですので、少し詳しく紹介したいと思います。

5(5)水戸市中学生自殺事件はいかに報じられたか

「今から思えば、あの時こそ分岐点だった」と思えるような出来事が、個人の人生においても社会の流れにおいてもあるのではないでしょうか。

その意味で、1985年1月21日に発生した茨城県水戸市の中学生自殺事件こそが、「いじめ物語」成立の歴史的転換点に位置づいているように思えてなりません。

ただしそう言えるのは、事件そのものの特徴によってではなく、事件の報道のされ方によってであるという点が重要です。

それはどういうことかを、当時の新聞やテレビの報道内容を分析することで明らかにしたいと思います。

まず注目したいのは、「死を呼ぶ“いじめ”」という刺激的な見出しを掲げて本事件を報じた朝日新聞の記事の作り方です(1985年1月23日朝刊社会面)。

「死を呼ぶ“いじめ”」という見出しのもと二つの自殺事件が報じられていますが、そのうちの一つが水戸市の事件です。

リード文には、「『もういじめないでね……』という遺書を残して」から始まり「同級生のいじめやいやがらせに苦しんでいた」と書かれています。

加えて、本人の顔写真と「ばか、しね」などと落書きされた教科書の写真が掲載されていますので、読み手に「いじめ自殺」と思わせるに充分な内容となっています。

もう一つは、岩手県の中学生の自殺です。ただし、「岩手では男生徒」という中見出しの下に小さな文字で「『えん世』の見方も」と断り書きがしてあり、本文中でも「いじめ自殺」という断定を回避しています。

つまり、本文を読めば、二つの自殺事件の報道内容はかなり異なることがわかるのですが、「死を呼ぶ“いじめ”」という見出しのもと二つの自殺事件を報じる記事が左右に割り付けられているという紙面構成それ自体が、「二つの自殺事件を『死を呼ぶ“いじめ”』という見出し(=文脈)のもとで読め」というメタ・メッセージとして機能しているように思います。

さらに第二社会面では、「学校『知らぬ』間に陰湿化」という見出しのもと、教育評論家の「水戸も岩手も(…中略…)いまのいじめの典型的なケースです」という発言を紹介し二つの自殺事件を関連させようとしています。

このように、二つの自殺を報じる記事のレイアウトや識者コメントの紹介の仕方という紙面の作りの方のなかに、「いじめ」と「自殺」を接合させることで「いじめ問題」の深刻さを印象づけようとする朝日新聞の報道姿勢がはっきりと読み取れるわけです。 

それに対して毎日新聞は、見出しに「いじめ?中2女子自殺」(1985年1月23日)と、「いじめ」に疑問符をつけていますし、本文のなかでも自殺の動機には触れていません。そして読売新聞は、そもそもこの自殺事件を報道さえしていません。

ここから、少なくとも2つの疑問が浮かびあがります。

第1に、なぜ朝日新聞はこのようなメッセージ性の強い報道をしたのかということです。

そして第2に、新聞社によってこれほどまでに報道姿勢が異なっていたのはなぜかということです。

この2つの問いに答えることが、「いじめ問題」成立過程を明らかにするうえでの突破口となります。

5(6)水戸市中学生自殺事件の謎

水戸市事件の報道をめぐる謎は、朝日新聞があれほど大きく報じた事件を読売新聞はまったく報じていないのはなぜかということですが、そこにはかなり明確な理由があったように思われます。

といいますのは、事件発生当時、朝日新聞が報じた「もういじめないでね」(このメモ内容については、NHKも「おはようジャーナル」などで繰り返し報じています)という言葉が存在したかどうかが確認できず、「いじめ自殺」と言えるかどうかは不明とする判断が働いていた可能性があるからです。

たとえば、見出しに「いじめ?中2女子自殺」と疑問符をつけた毎日新聞には続報がありません。

また、事件発生直後に報道しなかった読売新聞は、およそ3カ月後に関連記事を掲載し、メモのなかに「『いじめられた』という文面は“ない”。が、いじめを想像させる内容である」(“”は筆者)と、はっきりと「ない」と書いています(1985年5月2日)。

そうしたなか最も注目されるのは、サンケイ新聞社の動きです。サンケイ新聞は、1月23日の第一報で、「原因は“いじめ”」という見出しを掲げ、本文中で、自室の通学カバンのなかにあったメモに「もういじめないでね」という言葉が書かれていたと報じています。

しかし、事件から1年後の1986年2月に刊行されたサンケイ新聞社会部取材班の著書のなかでは、水戸市事件についてまったく異なる見解が表明されています。

「『もういじめないでね』というメモを残して少女は自殺した-と新聞やテレビは報じた。…中略…。これほどストレートにいじめを自ら“告発”して命を絶った例はない。少女の“一言”は臨時教育審議会でも取りあげられ、いじめが社会問題化するきっかけともなった。しかし、結論から先にいえば、メモには『いじめ』の字はなかったようだ」(サンケイ新聞社会部取材班『僕、学校が怖い-子供を蝕む「いじめの構造」』1986年:p56)

このような重大な指摘をしたうえで、メモに「もういじめないでね」という表現がなかったとする根拠について説得的な議論を展開しています。

その詳細は省略しますが、ここで注目したいのは、朝日新聞やNHKが「ある」と報道していた表現を、読売新聞とサンケイ新聞社会部取材班は「ない」と主張しているというこの分裂状態です。

「では、本当はどうだったのか」。それこそが最も気になる点かもしれませんが、ここで注目したいのは、その後の社会の動向です。

まず始めに、朝日新聞やNHKが、本事件を「いじめ自殺」事件として繰り返し報道することで「いじめ問題」の深刻さを訴え続けたということ、それに続いて、本事件についての判断を留保していた毎日新聞や読売新聞も徐々に「いじめ問題」報道を過熱させていったという一連の流れに注目したいと思います。

そして、マスメディアの動きに呼応するかのようにして、警察庁や文部省(当時)などの公的機関が「いじめ実態調査」や「いじめ対策」を“初めて”実施するようになり、それをまたマスメディアが報道することで、「マスメディア報道→公的機関の対応→マスメディア報道」という循環構造が形成されていったことが何より重要です。

このように、マスメディアの加熱報道と公的機関の対応とが相互に影響を与えあうことで大きな社会的うねりとなり、いじめが社会問題化していったわけです。

その意味で水戸市中学生自殺事件は、何かが社会問題化するのは、その何かが深刻な問題であるかどうかとは必ずしも関係なく、その問題に社会がどのように反応するかが決定的に重要となることを示す格好の事例になっているということです。

ところで、引用符で囲んだ“初めて”という表現にも注目して欲しく思います。

といいますのは、文部省などの公的機関がいじめの実態調査を“初めて”実施したり、警視庁が“初めて”いじめ相談窓口を設置したということは、公的機関が、その時期に「いじめ問題」に“初めて”関心を持ち始めたことを示す重要な証拠と見なせるからです。

そしてだからこそ、1985年に「いじめが社会問題化した」と言えるわけです。

<【6章】「いじめ物語」からの解放を求めて>

6(1)社会問題とは何か

社会問題の起源をたどれば、最初の一歩は、どこかで何かが起きた、誰かが何かを訴えた、ということから始まっています。

それこそ世界の至る所で、いつでも何かが起きているわけですから、決定的に重要なのは、その出来事に注目する他者が現れるかどうかということになります。

例えば、子どもの自殺は、家族をはじめとした近しい人達にとっては衝撃的で理不尽な悲劇でしょうが、その悲劇性は私的な性格のものです。

しかし、その自殺が「いじめ自殺」としてマスメディアで報道されれば、一気に社会的に注目される可能性が高まります。いわば、私的あるいは特定地域の悲劇的な出来事が、「日本社会のいじめ問題」の一事例に転換するということです。

このような考え方をする時に重要なのは、子ども達もまた「いじめが社会問題となっている」現代日本社会を生きているということです。

いつの時代の子ども達も、同世代とのつきあいのなかで様々な経験をしているはずです。たとえ仲の良い友達同士であっても対立することはあるでしょう。その時、決定的に重要なのは、自分の経験をどのような言葉で理解するかです。

「無視された」「口喧嘩した」「仲直りした」など、実に様々に表現可能ですが、もし「いじめられた」と捉えるなら、たちまち「いじめ物語」に呪縛され身動きがとれなくなるおそれが生まれます。

6(2)「いじめ問題」の規範力

2011年10月に大津市の中学生が自殺しました。

その後、様々な経緯がありましたが、およそ8ヶ月後の2012年7月4日の毎日新聞朝刊に、「自殺練習させられた」という耳目を引く見出しが掲げられた記事が掲載され、それを契機に「いじめ自殺」事件としての過熱報道が始まりました。

事件の詳細については私達の著書(北澤毅・間山広朗編『囚われのいじめ問題』岩波書店、2021年)を読んでほしいと思いますが、この事件をきっかけとして「いじめ防止対策推進法」(2013年)が成立しました。

この法律については賛否両論様々な意見がありますが、本稿が注目するのは第2条で、「『いじめ』とは、(中略)、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう」と定義されていることです。

なぜ注目するかと言いますと、この定義では、ある行為が「いじめ」かどうかは「被害者」の主観が決めることであると主張していることになるからです。

これについては、被害者に寄り添う意義のある定義だという賛成論もありますが、「被害者の主観だけでいじめ事実を決めて良いのか」という反対論もあります。

非常に難しい問題ですが、ここでは、賛否両論それぞれにとっての重要な論点について述べておきたいと思います。

まず賛成論ですが、次のような場合を考えてみましょう。

他者の何気ない振る舞いや発言に傷つくという経験は誰にでもあるはずです。もちろん、何気なさの背後に「悪意」が秘められている場合もあるでしょうし、その時、傷ついたあなたが相手の振る舞いに抗議したとしても、相手側が優位な関係にあれば「思い過ごしでしょう。被害妄想だね」などと反撃され笑いものにされ二重に傷つくかもしれません。

それを恐れて、傷つきつつも黙って耐えようとすれば、さらなる攻撃に晒されどうしようもない孤立状態に追い詰められる危険もあります。

その時、「君が苦しいと思うならそれはいじめだ」と法的にも社会的にも認めてもらえるなら、いじめを告発しても孤立せずにすみますし、あなたの苦しみを受け入れてもらえるでしょう。

そういう意味で、被害者に寄り添ういじめ定義には大きな効果が期待できるわけです。

しかしまた、反対論の主張にも重要な論点が含まれています。

たとえば、行為者側に「いじめよう、困らせよう」といった悪意がなかったとしても(あるいは、たとえ好意で何かをしたとしても)、相手側が「嫌なことをされた、いじめられた」と思えば「いじめ」になりますので、「いじめる意思」がなかったとしても「いじめ加害者」になる恐れがあります。

つまり、「いじめをなくす」ための法律が、「悪意なき人物までも加害者にしてしまう」といった新たな事態をもたらす可能性があるということです。

また、このような場合も法的には「いじめ」と認定可能ですので、この「いじめ」に誰が責任をとるべきかという問題を引き起こすかもしれません。

もし、加害者を特定することが難しい場合は、被害者の苦しみに「気づけなかった」「適切に対応しなかった」などの理由で担任教師や教育委員会が非難の対象になる可能性もあります。

以上、賛否両論について簡潔に述べましたが、どのような法律や制度にも光と影があるということの一端を紹介したつもりです。

もし、いじめ防対法の内容に関心を持てるようでしたら、他にも検討すべき論点はいくつもありますので、みなさんも是非考えてほしく思います。

いずれにせよ、こうした社会状況を生きている現代の子ども達は、何かちょっとでも嫌なことをされれば「いじめられた」と捉える可能性が高まっているように思います。

その時こそ、早期発見早期対応のチャンスとも言えますが、同時に、「いじめ物語」に囚われ「いじめられて苦しい」、だから「学校に行きたくない、死にたい」と考えるリスクも高まるように思います。

そしてもし、「いじめ苦」を表明した遺書を残して子どもが自殺をしたとなれば、またもやマスメディアが大きく報道することで、「いじめ物語」がますます強固となり人々を呪縛していく恐れがあります。

このような悪循環ループが40年近くも続いているのが現代日本社会の「いじめ問題」の特徴ではないでしょうか。

もちろん、こうして作られた「いじめ問題」はいずれ消滅するでしょう。しかしいつ消滅するかは誰にも分かりませんし、それまでは私達の考え方や行動の仕方を拘束する力を持ち続けることになります。

その意味で「いじめ問題」とは、規範的な力を持つ一種の物語なのだということを強調しておきたいと思います。

6(3)「いじめ問題」からの解放を求めて

最後に、「いじめが原因で自殺をした」という考え方の危うさをもう一度確認しておきたいと思います。

顔を殴られれば痛いでしょうし骨折したり出血したりするかもしれません。殴られたから痛いというのは、酸素がなくなれば蝋燭の火が消えるのと同じく、物理的な因果法則です。

しかし、「いじめが苦しくて自殺をする」のは物理的因果法則ではありません。

私達の社会は、「いじめをなくしたい」と願いつつ、これまで様々な取り組みをしてきたわけですが、そうした取り組みそれ自体が、意図せざる結果として「いじめ物語」を再生産し、結果として「いじめ自殺」という悲劇を生み出すことに手を貸してしまっているのかもしれません。

この仮説命題から導かれる「いじめ問題」解決策の1つは、「いじめ物語」の呪縛から子ども達を解放せよということになります。

そして本稿では、そのための方法として、「物語の書き換え実践」と「いじめ問題の成立背景を知る」という二つの方法を紹介してきました。

もし、大人も子どもも、「いじめ問題」の成立過程を理解し、「いじめ苦」が自死と結びつくメカニズムを理解できるようになるなら、すでに「いじめ物語」の呪縛からの解放へと踏み出しているはずです。

「理解する」ことこそが、自分の現在を相対化する第一歩であるからです。

とはいえ、これは簡単な解決策とはとても言えそうにありませんし、「いじめ問題」を解決するための可能な一つの選択肢とはいえても「正解」というわけではありません。他にも有効な手立てがあるかもしれないということです。

ただ、いずれにせよ私達が「いじめ問題」の解決を目指すためには、根拠のある仮説に導かれた何らかの解決策を試みながら、それで子どもの世界がどうなるかを絶えず見守り検証しつつ、予想通りに進まなければ必要な修正案や別の対応策を考えていく必要があるのではないでしょうか。

だからこそ今この時に、「いじめられて苦しい」と感じている子ども達を救うために、さらにはいじめられた子ども達が「死にたい」などと思わないですむ社会を作るために、「物語の書き換え実践」と「いじめ問題成立の歴史を子ども達に語りかける」という新たな試みを、学校をはじめいろいろな場で実践して欲しいと思っています。

【著者】 北澤毅(きたざわたけし) 1953年 茨城県つくば市生まれ。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京大学教育学部学校教育学科卒業。筑波大学大学院博士課程終了。日本女子体育短期大学専任講師、立教大学文学部教授を経て、2019年4月から立教大学名誉教授。 専門は、教育社会学、逸脱行動論。主な著書:『少年犯罪の社会的構築』東洋館出版社、『文化としての涙』勁草書房、『いじめ自殺の社会学』世界思想社、『教師のメソドロジー』北樹出版、『囚われのいじめ問題』岩波書店など。

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