大声での罵倒、何時間もの拘束、つきまといやセクハラ、果ては「殺すぞ」という脅迫まで…。カスタマーハラスメント(カスハラ)は働く人の心をえぐり、お店や会社の評判に深刻な影響をもたらすことも少なくない。
そんなカスハラから事業者を守るべく、全国で初となる「カスハラ防止条例」が、東京都や北海道や群馬県など5つの自治体で4月1日から施行された。
なかでも独自の条例に踏み切ったのが、三重県桑名市だ。同市の事業者がカスハラを受けた場合、カスハラをした者にまず警告する。それでも続くようであれば、行為者の氏名を約1年間、市のWEBサイトに掲載するというもの。
この条例には、採決前の討論で、本人や家族にも重大な影響を及ぼしかねないという理由で反対もあったというが、最終的に可決された。カスハラ防止にどのような効果を見込んでいるのか、桑名市役所に取材した。(ジャーナリスト・肥沼和之)
● 2〜3割がカスハラ被害、企業から感謝の声
――桑名市としてハラスメント全般への考え方・そのなかでもカスハラへの考え方を教えてください
ハラスメントは、被害者の尊厳を著しく傷つけ、その心身に重大な悪影響を及ぼすものであり、あらゆる場面、場所で根絶すべきものです。
これまで、パワハラやセクハラなどについては、法制面において、企業等において、また、市民一人ひとりの意識において、社会的に許されない言動として、被害防止の取組が進められてきました。
他方で、カスハラについては、近年、報道等で取り上げられる機会が増えたこともあり、解決すべき社会問題として認識されてきたとはいえ、社会全体としての取組は始まったばかりというのが現状であると捉えています。
カスハラへの対応は、一義的には、事業者が率先して取り組むべきものです。しかしながら、全部の事業者というわけではありませんが、顧客等との関係についての誤った理解から、積極的な対策に踏み出せない事業者もあるなど、社会全体としての取組が十分であるとはいえない状況にあると考えています。
人口減少社会、高齢社会、多文化共生社会への転換が急速に進む時代においては、あらゆる人の社会参画を進めていくことが求められています。そのためには、誰もが安全安心に活動できる環境の整備が必要不可欠であり、かつ、喫緊の課題であるとの認識の下、本条例の制定を目指したという次第です。
――カスハラの「氏名公表」「相談・訴訟費用の一部負担」を制定した経緯・背景は何でしょう。
1.「氏名公表」について
実効性のある条例の制定を望む声が、市民や関係者から多数寄せられました。
そこで、実効性を確保するという観点から、刑罰、過料、情報提供といった手段の適否について検討しました。
カスハラを明確に定義することは困難であること、繰り返されるカスハラに対しても効果的な手段であることが望ましいことなどから、市民への情報提供としての氏名公表が最も適切であるとの判断に至りました。
氏名公表は、加害者への制裁というよりも、市民への情報提供が主たる目的であり、本条例の目的であるカスハラの「被害の防止、回復等」(条例1条)にも整合するものと考えています。
2.「相談・訴訟費用の一部負担」について
カスハラに対し、毅然として対応する就業者や事業者等の支援を目的とするものです。
助成額は、訴訟等の費用を賄えるほどのものではありませんが、法的な措置を検討してはみたものの、あと一歩を踏み出せない就業者や事業者等の後押しになればと考えています。
また、助成制度がある桑名市内でのカスハラに対しては、法的措置が講じられる可能性があるということが広まれば、カスハラの抑止につながるのではないかという狙いもあります。
市内全体で、カスハラに対しては毅然として対応するという意識が醸成されることによって、カスハラのない「安全安心で公正な地域社会の実現」(桑名市安全安心で公正な地域社会の実現に関する条例第1条)が近づくものと考えています。
――これまでに桑名市で発生し、把握されているカスハラの件数はどれくらいでしょうか。
令和6年度に桑名市が市内事業者の従業員を対象に実施したアンケート調査では、692票の回答をいただき、事業者で約23%、従業員で約27%の方が最近1年間で、カスタマーハラスメントと思われる言動を受けたことがあると回答しています。
――氏名公表というカスハラ防止施策によって、目標とする成果・状態はありますか
カスタマーハラスメントを少しでも減らしていくことにより、市内の事業者様、従業員様が安全で安心な経済活動ができる状態を目指しています。最終的にはカスタマーハラスメントをこの街から完全に無くしたいと考えております。
また、この取り組みを行うことで、市民全体が安心して暮らすことができる「安全安心で公正な地域社会の実現」(桑名市安全安心で公正な地域社会の実現に関する条例第1条)に繋がるよう努めて参ります。
――施策に対して市民からどのような声が届いているか教えてください
企業の方からは、条例を制定したことへの感謝のお言葉を、顧客の方からは市内で買い物するときに「カスハラ」を意識するようになったとのお言葉をいただいております。
――日本全体でカスハラが問題になっているなか、桑名市の施策が報道などで全国的に注目されていることについてどう思いますか
桑名市の取り組みが報道を通じて全国的に注目されることは、非常に意義深いことだと感じています。これをきっかけに、カスタマーハラスメント防止に対する理解や関心が全国に広がり、各地でカスタマーハラスメントへの対策が進むことを期待しています。
結果として、カスハラの件数が減少し、誰もが安心して働き、暮らせる社会の実現につながればと願っています。
●実名公表、行き過ぎにならないか?
――カスハラの抑止が見込める一方で、加害者の氏名公表による「デジタルタトゥー」の問題も懸念されています。どう気を付けていくのでしょう
氏名公表は1年を目安に市HPで行うこととしていますが、HP掲載終了後も、行為者の氏名などの情報がインターネット上で流布され続ける可能性があります。
そのような事態を発見した場合、発信者に削除を求める等の対応を検討しています。また、氏名公表に当たって、必要以上の制裁にならないような措置を講じることができないかを検討しています。
――経済・健康・人間関係などで不満を抱える人が、憂さ晴らしでついカスハラを行ってしまうケースも考えられます。今回の施策以外にも、市民一人ひとりの健全で豊かな生活を支援し、結果的にカスハラを減らす、ということも必要だと考えていますか
桑名市では、「誰一人取り残さない社会」の実現を目指し、高齢者や引きこもりの人などの孤独を抱えている方、孤立されている方に行政から手を差し伸べる支援に取り組み、あらゆる世代がウェルビーイングを実感できるような施策を行っています。
「誰一人取り残さない社会」を実現することが結果的に、カスタマーハラスメントの削減に繋がると考えております。
●訴訟費用も補助、桑名市の本気度
桑名市はさらに、カスハラの被害者が弁護士に相談したり、訴訟したりする費用を、1件当たり最大10万円まで補助する制度を準備中だ。
これらの条例からは、理不尽なカスハラを許さない、市民が安心して働ける労働環境を守る、という同市の強い意志や決意を感じられる。市民にとっては非常に心強い取り組みであり、カスハラに悩むほかの自治体や企業には大きなヒントになるだろう。
カスハラの無い社会を目指して、自治体も企業も本腰を入れ始めている。我々も、知らずのうちにカスハラ行為をしてしまっていないか、見直すきっかけにもなるはずだ。