65歳の弁護士が今年5月にTikTokのアカウントを開設し、投稿数本ながらバズっている。
ロケットスタートを切った「歌手志望弁護士ささせ」こと笹瀬健児弁護士にTikTokを始めた理由を聞いたところ、「仕事目的ではなく、オリジナルソングを聞いてもらうため」とキッパリ。
失明の危機など、紆余曲折あって諦めた歌手の夢を花開かせようとしている。
●「好き」「過去一笑った」
真っ白な部屋で、マイクに向かった男性がおもむろに口をひらく。
ある動画では、HIPHOPユニット「Creepy Nuts」の『Bling‐Bang‐Bang‐Born』の高速ラップを披露。またある動画では、だんだんとキーが高くなり、最終的に歌うのが困難になる曲に挑戦した(「高音厨音域テスト」)。
本人が必死になればなるほど醸し出されるユーモラスな様子とは裏腹に、時折差し込まれる「弁護士バッジ」のインサートとのギャップがさらなる笑いを誘う。
「好き」「しぬwww」「元気出た」「過去一笑った」「耳たぶ可愛い」
投稿には若者たちからの好意的なコメントが溢れている。
「高音厨」の投稿だけで「67万いいね」を獲得し、それらを足がかりとして日本テレビのスター発掘バラエティー『あとは見つかるだけ』への出演も果たした。
始めて半年もたたずにTikTokフォロワー数9万人、総再生数6000万を数えた。未経験のTikTokに手をつけたのは、歌手になるという夢を叶えるためだという。
●スマホを操る指が止まった「歌い手大募集」
今年1月、ネットで「歌い手大募集」と呼びかける広告を見つけた。高校生の頃のシンガーソングライターになる夢がよみがえった。
当時、病気で視力を失いかけたことから、諦めて弁護士になった。
歌唱審査では歌唱力を認められたものの、審査員から「こちらが用意した曲を歌って」と言われた。
お金さえ払えば、会社が曲作りからMV作成まで、すべてサポートしてデビューさせてくれるという。ただ、デビューの実績はできても「記念受験のようなもので、リリースしても誰も聴いてくれないし、歌ってくれない」という結果も予想できた。
どうしても自分の作品を歌いたいと話す笹瀬弁護士に、審査員は「SNSで知名度が上がれば2曲目はオリジナルでも」と投げかけた。
目的はオリジナル曲を聞いてもらうこと。その手段としてバズろうと決意した笹瀬弁護士は、関連する書籍、資料を読みあさり、信頼できそうなTikTokのコンサル会社を見つけて委ねたという。
「自分で書いた訴状を持ってくる相談者もいますが、中途半端が一番いけません。わからないことはプロに任せるのが良い。かっこよく歌いたい気持ちは捨てました。恥をかきたくないけど、弁護士、65歳。私の属性は自由に使ってくれと最初に伝えておきました」
火曜日の夕方に台本が届き、土曜日に5〜6本を一気に撮影する。若者やTikTokで流行している曲は一つも知らない。
「仕事の合間に必死になってリズムと歌詞を覚え、本番に臨むとまったく余裕がありません」
ただ、その一生懸命な姿勢は「コンサルの」狙い通りにウケた形だ。
●「TikTokが伸びない弁護士」
弁護士がYouTubeやTikTokを始めても、伸びないケースがほとんどだ。
「『刑法で一番重い罪は外患誘致です』と弁護士的な小ネタを出しても、一般人からしたら雑学が1つ増えたに過ぎない。どうでもいい話ですよね。それよりは、好きなことに打ち込んでいる姿を見せる方が良い。これなら人に不快感を与えたり、人を傷つけることはありません」
「SNSの総フォロワー数が12万人いますが、仕事の依頼は1件もありません。依頼者には好評ですが弁護士としてのマーケティングとは切り離して考えています」
●父親から勘当「弁護士なんて卑しい人間、クズだ」
医療過誤事件や少年事件などを手がけ、指導をした司法試験受験生が軒並み合格するなど、目覚ましい実績が評価される笹瀬弁護士だが、道のりは紆余曲折だった。高2の冬に急性緑内障になり、医師から失明宣告を受けた。
「高校も行かなくなって、どうやって死のうかと考え、生活も無茶苦茶になっていました」
それから奇跡的に回復して大学生になったが、そこで司法試験の存在を知り、「いずれ就職してもまた目が見えなくなると失業する恐れもある」と資格をとることを考えた。
「父親から『弁護士は他人の紛争に首を突っ込んで金を取る卑しい職業だ。そんな人間のクズになりたいなら家から出ていけ』と言われ、大学を卒業してすぐ家を出ました」
転職と失業の極貧生活を経て、16回目で司法試験に合格した。
「弁護修習で、スナックのママが客に貸したお金を返してもらえないという相談を経験しました。スナックに行かないと起案できないと私は言ったのですが、指導担当の弁護士からは行かなくてもイメージできないとダメだと叱られたものです。
桜丘法律事務所の採用面接でその話をしたら、所長の櫻井光政弁護士も『それは絶対スナックに行ったほうがいいぞ』と意気投合しました」
のちの最高裁長官島田仁郎裁判官から任官をすすめられていたというが、櫻井弁護士、神山啓史弁護士のもとで弁護士人生を始めた。
独立後は、カウンセリングの手法を取り入れた法律相談「リーガルカウンセリング」をロースクールで教え、法テラスのスタッフ弁護士を養成する。また、小説「法廷弁護士」を執筆し、「リーガルカウンセリングの手法」を上梓するなど、活動は多岐にわたる。
●世界レベルのクリスマスソングを作る
今年11月からは、オリジナル曲の投稿も始める計画だ。ライブ配信にも挑戦する。
その1曲『Santa-san!』を「世界中で流行らせたい。海外で流行って、日本に戻ってきて、最終的にはクリスマスの時期に世界中でこの曲が流れるのが夢です」と話す。
「新しい楽曲製作にも取り組み始めました。これまで依頼者のつらさや苦しさに向き合い励ますときに掛けてきた言葉で表現された歌であれば、心を打つんじゃないかな。いつまでも心に残り続けるメッセージを歌にこめていきたい」
先ほど、TikTokからは依頼は来ないと話していた笹瀬弁護士だが、「もしかしたら、続けていれば、なんらかの形で繋がることもあるかもしれません。それはそれで楽しみです。まあ、少なくとも5年くらいやってみましょうか」と笑った。