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「逃げる」は生き延びる選択──無国籍者の逆転難民認定を実現した弁護士の原動力
2025年08月21日 10時44分
#入管 #難民 #無国籍

交換留学先のアメリカで同時多発テロ事件に遭遇したことをきっかけに難民問題に関心を持ち、学生時代から難民や無国籍者について学び支援に取り組んできた小田川綾音さん。

2009年の弁護士登録以来、入管・国籍関連の国際・国内人権法務に注力している小田川さんは、2025年春に、自身が代理人をつとめた無国籍の男性が難民認定され在留資格を得るまでの過酷な境遇を記録した書籍『ルーベンです、私はどこで生きればよいのでしょうか?』を上梓した。

世界でも難民認定率が極端に低い日本で、ルーベンさんが難民認定されるまで、小田川さんはどのような主張をして訴訟を組み立てていったのか。そして、弁護士を志した経緯や、難民・無国籍者への関心を深めたきっかけを聞いた。(取材・文/塚田恭子)

交換留学先のアメリカで同時多発テロ事件に遭遇したことをきっかけに難民問題に関心を持ち、学生時代から難民や無国籍者について学び支援に取り組んできた小田川綾音さん。

2009年の弁護士登録以来、入管・国籍関連の国際・国内人権法務に注力している小田川さんは、2025年春に、自身が代理人をつとめた無国籍の男性が難民認定され在留資格を得るまでの過酷な境遇を記録した書籍『ルーベンです、私はどこで生きればよいのでしょうか?』を上梓した。

世界でも難民認定率が極端に低い日本で、ルーベンさんが難民認定されるまで、小田川さんはどのような主張をして訴訟を組み立てていったのか。そして、弁護士を志した経緯や、難民・無国籍者への関心を深めたきっかけを聞いた。(取材・文/塚田恭子)

●交換留学先で体感した「マイノリティ」としての視点

通っていたキリスト教系の中高一貫校では、毎朝15分の礼拝があった。「他者に思いを馳せる」姿勢を学んだ高校時代、将来は国際的な仕事をしたいと考えたが、語学だけ学ぶのはどうかと思い、「どんなことにも役立ちそう」と思った法学部を選択。

早稲田大学に進学し、3年次にカリフォルニア州立大学へ交換留学したが、その1カ月後に「9・11同時多発テロ事件」が起きた。

「テレビであの映像を見て、私は広島の原爆を連想しました。でも、アメリカ人のルームメートは『これは真珠湾攻撃みたい』と言ったのです。同じ出来事でも、背景や視点の違いでこんなにも捉え方が変わるのかと、衝撃を受けました。

この捉え方の違いは、今でも、難民や無国籍者という外国ルーツのマイノリティの人たち、国内のさまざまな課題・問題に関わる人たちへの強い風当たりに触れると実感します。

そして、9.11後のアメリカ社会の反応を肌で感じ、"外国人"である自分は社会のマイノリティだと気づかされた体験も、難民問題への関心につながったと思います」

どの視点に立つかによって「伝わり方」が変わる──。そのことを教えてくれたフォトジャーナリズムに関心を持った小田川さんは、帰国後に、ビデオジャーナリストの土井敏邦さんと出会った。

「若くて意欲はあっても、何者でもない自分に何ができるのか。悩んでいたとき、土井さんの後押しもあって、渡邉彰悟弁護士にお会いしました。その後、渡邉先生のお声がけで、事務局として在日ビルマ人難民申請弁護団の活動などに参加しました。

その中で、難民申請者の入管での手続に同行したりしましたが、"弁護士がいるかどうか"で入管の対応がまるで違うことを知り、弁護士という資格は、人を助ける立場として法的に尊重される"社会的な資格"なのだと実感しました」

●「無国籍」の実態を掘り起こす

大学では、ゼミ案内に書かれていた文章に惹かれ、国際人権法の専門家である阿部浩己先生のゼミに入った。ロースクールも、阿部先生のいる神奈川大学法科大学院を選び、3年間、司法試験合格を目指して学業に集中した。

「神奈川大学では学生一人一人に席が用意されていて学習環境が整っていました。朝から夜まで勉強漬けの毎日です。そんななか、阿部先生の研究室で国際人権にまつわる話を聞いていると、世界を旅しているような気分になることができました。籠って勉強していた私にとって、外の世界に通じる救いのひと時でした」

2008年に司法試験に合格し、修習を経て渡邉弁護士の事務所に在籍してからは、難民問題に加えて無国籍者の支援にも関わるようになった。

「学生時代にタイとミャンマーの国境沿いにある難民キャンプを訪れ、その後立ち寄ったタイ・チェンマイで脆弱な立場に置かれている無国籍者の存在を知りました。その後、ロースクールに設置されていた『国際人権クリニック』で家族離散の危機にあった無国籍者の相談を受けたことをきっかけに関心が深まりました」

背景も原因もさまざまで、一つの定義では括りにくい無国籍の問題。この頃、国連難民高等弁務官事務所が人権問題として無国籍問題に力を入れ始めるという追い風もあり、2014年には、関聡介弁護士とともに「無国籍研究会」を立ち上げた。

「当時は、難民支援に関わる人たちの間でも"無国籍"という問題は、あまり知られていませんでした。しかし、無国籍であることで、人間として実在するのに社会的にはまるで『人』として扱われず人権が脅かされる実態があることを踏まえ、かつて無国籍であった経験のある当事者、実務家や研究者も連携して、日本の現状を整理し、発信してきました。10年積み重ねてきたことで無国籍問題への理解は人権問題として確実に広がったと感じています」

●トラウマに言及した逆転勝訴判決

ルーベンさんとの出会いは2013年、関わっていた市民団体の法律相談の場だった。旧ソ連構成国グルジア(現ジョージア)出身で、アルメニアにルーツを持つ彼は、旧ソ連の解体・消滅という国際政治の転換期に民族的迫害を受けて故郷を出国した。17年にわたり欧州12カ国で歴史の狭間に追いやられ、過酷な体験を続けた末、2010年にやむなく日本にたどり着いた。

一度目の難民申請が棄却され、2015年に小田川さんらが代理人となった。一審では敗訴したが、2020年の控訴審で逆転勝訴となり、難民認定され、日本でルーベンさんの人権が保障された。これまでの難民裁判の実務から、この判決は奇跡のような判決だった。

「野山宏裁判長が言い渡した控訴審判決に、裁判官の良心を感じ、人権を尊重していると思ったのは、ルーベンさんの"トラウマ体験の記憶"にしっかり着目したことです。

彼は身の危険を逃れて移動し続けましたが、入管職員や難民審査参与員、一審裁判所は『逃げ続ける=信用できない』と真逆に評価しました。一方で、控訴審裁判所は、放浪の背景にある迫害と、それを逃れて生き延びるために選択してきた結果が『逃げる』であったことをきちんと受け止めてくれたんです。

この『逃げる』は、トラウマをケアするソーシャル支援や心理支援、医療領域では迫害のような危機的状況に置かれた人間が生き延びるための反応として知られています。

こうした理解を踏まえ、控訴審裁判所は、ルーベンさんが『人種を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する』と認定し、難民条約と入管法上の難民の定義に該当することを正面から認めました」

この判決を機に「迫害の定義」は国際水準に添った解釈指針が示され、控訴審の裁判官が他の裁判体に異動した後に担当した難民事件でも、国の難民不認定処分を取消す判決が出されるなど、一定の波及効果も生まれているという。

画像タイトル 『ルーベンです、私はどこで生きればよいのでしょうか?』

本の執筆に当たって、小田川さんは「ルーベンさんが置かれた状況を少しでも理解できれば」と、来日後、ルーベンさんが目指した新潟のロシア村近くまで訪れた。本人が歩いて向かった品川の入管にも、東京駅から歩いてみた。

●「積み重ね」の結果としての勝訴

ルーベンさんは逆転勝訴で難民認定されたが、国を相手にした難民訴訟は、時間や労力もかかるうえに報われにくい。弁護士にとっても、手弁当で支援にあたることが長らくデフォルトになっている。

「法的に正しい主張が、その手前の事実認定で事実の主張が認められず、"人間として同じ土俵にいない"と感じることもあります。けれど、当事者の境遇と心情を一人の人として想像してくれる裁判官との"偶然の出会い"も、諦めないそれまでの積み重ねがあってこそではないか、と。

たとえ確率は低くても、生活支援をしながら当事者を支えている支援団体の方達の存在にも支えられ、弁護士として真っ当に主張立証を続けていけば『次も勝てるかも』と思える経験が、弁護士としての原動力になっています」

長期化する訴訟は、依頼者にも支援者にも、そして弁護士自身にも大きな負担をもたらす。小田川さんはこう語る。

「本来、政府も言っている様に、保護すべき人は速やかに難民と認めるべきです。保護されるまでに5年から10年かかることも珍しくないという現状は、人権という観点、人としての観点、社会的コストの観点でも、誰にとっても過酷と言わざるを得ません。

アメリカのように、国の誤った判断に相応額の賠償を命じるような司法制度になれば、その判断の積み重ねが、行政の判断の健全な抑止力にもなる。日本でも相応の賠償制度を整え、それを訴訟資金に充てられるようになればと考えています」

【修正】記事内容をより正確に伝えたいという取材対象の弁護士の要望により、 一部、修正しました。(2025年8月25日)

【プロフィール】おだがわ・あやね/1981年神奈川生まれ。早稲田大学法学部卒。2009年弁護士登録。いずみ橋法律事務所所属。日本弁護士連合会人権擁護委員会 難民国籍特別部会 副部会長。著書に『ルーベンです、私はどこで生きればよいのでしょうか?』など。2025年秋から1年間、エセックス大学客員研究員としてイギリスに滞在予定。

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