しばしば世間を賑わす「炎上系」と呼ばれる動画配信者。彼らは過激な動画で賛否両論を巻き起こし、再生回数を稼いでいる。一体彼らは何者で、なぜ炎上を狙うのか。そして、情報リテラシーが不可欠となる現代で、私たちはその動画とどう向き合うべきなのか。
『炎上系ユーチューバー』(幻冬舎新書)を出版したジャーナリスト・肥沼和之氏に、その実像と現代社会が抱える課題について聞いた。(弁護士ドットコムニュース・玉村勇樹)
●取材で一変した「怖い人」というイメージ
2023年夏頃、痴漢や盗撮犯を私人逮捕する動画が社会現象となった。肥沼氏が炎上動画をテーマにしようと思ったきっかけも、自身のタイムラインに「世直し系」や「潜入系」と呼ばれる動画が目に付くようになったからだった。
「よくやった」「どんどんやってくれ」という賞賛の声がある一方、「怪我をしたらどうする」「冤罪だったらどうする」といった批判も多く寄せられた。賛否両論のコメントによって再生回数を増やし、社会的な注目を集めていたのだ。
当初は「何かスリルがあるなと関心しながら見ていた」というが、次第に違和感を抱いていく。「いいことをしているのかも知れないけど、手放しに応援や賛同はできないなと思った。それがなぜなのか?その『モヤモヤ』の正体を知りたいと感じました」。
取材前は「怖い人」かもしれないと身構えていたが、実際に会った彼らはごく普通の人々で、真摯に取材に応じてくれたという。
「中には元不良だったり、前科があったりする人もいましたが、彼らは『世直し』という強い使命感を持って活動していると感じました。収入も『ギリギリ食べられる』程度で、収益目的だけでなく、使命感を重視している。素人ながらも犯罪手口を学び理論武装するなど、その本気度には感心しました」
●「持たざる者」の自己実現とアテンション・エコノミー
では、なぜ彼らは賛否を呼ぶとわかっていながら過激な行動を続けるのか。肥沼氏は、その背景に「自己実現」と「アテンション・エコノミー(関心経済)」があると分析する。
「学歴や経歴にコンプレックスを抱える、いわゆる『持たざるもの』が成功を収めるのが困難な現代社会で、注目を集めることが自己実現の近道になっているのです」
コンテンツの質や正しさよりも、いかに注目を集めるかが重要視される。注目されれば賛同者や支援者が増え、同時に批判的なコメントも増えるが、結果として再生回数は伸びていく。彼らは炎上が注目獲得の手段であることを自覚しているのだ。
●エスカレートする動画と、誰もが当事者になりうる危険性
炎上による成功例は、熱狂的なファンや模倣者を生み出している。彼らの言動を信じ込む「信者」のようなファンが現れ、中には書籍化や政治家転身を果たす者もいる。こうした姿を見て「自分もなろう」と考える若者も少なくない。
視聴者を飽きさせないため、動画内容はより過激にエスカレートしていく。その原因を、肥沼氏は視聴者との「共犯関係」だと指摘する。
「批判や賛成のコメントであっても、視聴者がリアクションをすること自体が、結果的に配信者を成長させ、コンテンツを継続させてしまうのです」
また、炎上のリスクは配信者だけの問題ではない。誰もがスマートフォンを持つ現代では、誰もが「監視する側」であり、「監視される側」でもある。
「少しの気の緩みや疲れた時の行動が動画に撮られ、炎上につながるリスクは常にあります。『バイトテロ』のように、軽い気持ちの投稿が大ごとになるケースも後を絶ちません」
●「私人逮捕系」の功罪と、私たちが心に留めるべきこと
犯罪行為を追及する「私人逮捕系」動画には、「犯罪の抑止力になっている」という声もある。しかし肥沼氏は、動画がネット上に残り続け、プライバシーが晒されることで「その人が犯した罪に対する正当な罰以上のものが与えられる可能性が非常に高い」と警鐘を鳴らす。
では、私たちはこうした炎上動画とどう向き合えばよいのか。肥沼氏は「一度立ち止まって、疑ってかかること」が重要だと語る。
「自分が『正しい』と感じる情報や、好きなインフルエンサーの発信であっても、一度立ち止まって反対意見や異なる見方も確認すべきです。情報リテラシーは、自分が炎上の当事者にならないため、そして人生で損をしないためにも、子どもだけでなく大人も学び続ける必要があります」
どんなリアクションであれ、炎上コンテンツを支える一因になりうる。そのことを常に念頭に置き、情報と向き合う姿勢が今、問われている。