これほど揺れた甲子園大会(全国高校野球選手権大会)はなかったのではないか。
暴行事案をめぐり、SNSで批判や誹謗中傷が殺到した広陵高校(広島)が初戦を勝ち進んだあとに大会を辞退した。その後、大会終幕を迎える前に中井哲之監督が退任している。
野球部の寮で1年生(当時)が複数の上級生から殴られるなどした問題で、日本高野連は県高野連を通じた報告を受け、広陵を「厳重注意」としたが、被害生徒は転校した。
何が悪かったのか。8月23日で閉会したとて、大会や部活動のありかたをめぐって、「このままではいけない」と感じている人が多いことは間違いないだろう。
かつて甲子園の土を2度踏んだ高根和也弁護士も問題意識を強くもつ1人だ。
危機管理のプロフェッショナルとして、日本プロ野球機構(NPB)の第三者委員会に関与した経験を通じて、そして何よりこの問題をうけていてもたってもいられなくなった元甲子園球児として、現状の問題を本気で改善すべく、5000字超の「提言」を高野連に送る。
この提言が完璧だとは言わず、「たたき台」として、議論の活発化がすすみ、最適に近い形の仕組みがつくられてほしいと願っている。
<「高校球児の未来と教育機会を守るために――高野連への提言」(元甲子園球児・弁護士 高根和也)>
●第1 本稿の主旨
2003年3月29日、甲子園球場。前年の夏、創部1年4か月で甲子園に出場し、ベスト8入りした遊学館高(石川)。その野球部1期生だった私は、この日、背番号9を背負い、2期連続のベスト8入りを懸けた一戦に挑み、広陵高(広島)に敗れた。
その後も勝ち進み、この大会で優勝した広陵高は、いま、日本全国を巻き込んだ社会問題の渦中にある。
高校卒業後、大学・大学院を経て弁護士となった私は、登録1年目から、日本野球機構(NPB)が設置した第三者委員会に携わり、その後も継続して、様々な調査委員会に関与してきた。さらに、企業や自治体による公益通報窓口の設置・運用を支援するとともに、自らも通報対応業務を担い、また、東京三弁護士会で組織する「公益通報者保護協議会」の議長を2年間務めるなど、公益通報制度の実務にも携わってきた。
本稿は、こうした危機管理分野での経験をもとに、高校球児の未来と教育機会を守りたいとの願いから、僭越ながら、現行制度や取組を尊重しつつ、その意義をさらに発展させ、日本高野連に「通報窓口の設置」を柱とする体制の整備を提言するものである。
●第2 論点の整理
◆本稿で焦点を当てる生徒
はじめに、本稿で焦点を当てる生徒を明確にしておきたい。
指導者や部員が関わる不祥事には様々なものがあるが、議論を明確化するため、部内で生じた生徒間の暴力事案を想定して、議論を進める。ただし、広陵高の事案を直接の対象としているわけではないことに、ご留意いただきたい。
部内で暴力事案が生じた場合、部員は、被害生徒・加害生徒・その他の生徒の三者に大別できる(なお、事案によっては、「加害生徒」の中に、事案の発生を認識し、結果を回避できる立場にあったにもかかわらず、扇動などにより結果を回避しなかった生徒も含まれる場合があり得る。)。
被害生徒の保護や救済が極めて重要であることについては、言うまでもない。また、加害生徒が、過ちの内容・程度に応じた制裁を受けるべきことも当然であると思う。指導者についても、然りである。これを当然の前提とした上で、本稿においては、「その他の生徒」に焦点を当てたい。
その理由は、被害生徒については当然のことながら、責任のない「その他の生徒」が、結果として連帯責任を負うこととなり、現に甲子園に出場できず、また、甲子園に挑戦する機会さえも奪われる状況を、何としても避けなければならないと思うためである。 そこで次に、「甲子園出場経験」の価値について、私見を述べる。
◆「甲子園出場経験」の価値
「甲子園出場経験」の価値は、次の2つに大別できると思う。
第1に、「教育機会を広げる制度的役割」としての価値である。
多くの高校生が、勉強に励み、大学受験を経て進学先を切り開いていくように、野球部員は、甲子園に出場し、一つひとつ勝ち上がることにより、将来の選択肢を広げている。多くの甲子園球児が、甲子園での実績をもとに、スポーツ推薦に代表される筆記試験以外の入試制度を利用して大学に進学し、その後就職している。
「甲子園を特別視すべき」と主張しているのではない。私が指摘しているのは、野球部にとっての甲子園が、他の多くの受験生にとっての大学入試に等しい役割を果たしているとの厳然たる事実である。
第2に、「生き方を見極める場」としての価値である。
甲子園出場経験が、人生の礎となることは確かである。しかし、私を含む多くの甲子園球児にとって、甲子園は、栄光の証ではなく、挫折の記憶である場合が少なくない。
多くの才能溢れる選手と出会う中で、自分には特別な才能がないことを受け入れなければならない。その挫折体験が、その後の人生を歩む強い原動力になっている。私自身、今でも、同じ土の上に立っていたダルビッシュ選手の報道に接する度に、身が引き締まる思いがする。
若くして野球に懸けることを決め、厳しい練習に耐え、些細な要因が勝敗を分かつ残酷な世界を勝ち抜いた生徒たち。そしてこれからその戦いに挑もうとする生徒たち。私は、彼らが得られたはずの価値を守るため、本稿の執筆に及んでいる。
◆SNS時代の危機管理
近年、不祥事が起きた場合、「第三者委員会」を設置して、事実関係を調査し、原因を究明し、再発防止策を講じることにより、改善を図る事案が増えている。第三者委員会は、中立的な立場の外部専門家による調査を通じて、冷静かつ建設的な議論の場を提供する仕組みである。
他方で、SNSの普及により、不祥事が発覚すると同時に、その内容が瞬時に拡散される時代となった。その過程では、未確認の情報や憶測が交じり合い、適切な事実認定がなされないまま、過激な世論が形成されがちである。感情的な言説が優位となり、被害者や責任のない者までが誹謗中傷の対象となることも少なくない。
第三者委員会が冷静に事案を解決へ導くのに対し、SNSでの「炎上」は、むしろ事案を拡大させ、時に修復不能な被害をもたらす。そのため、SNS時代においては、炎上が生じる前に、第三者委員会に代表される危機管理手法を用いて解決を図る必要性が以前にも増して高くなっている。
近時改正された公益通報者保護法は、企業等に対し、通報受付窓口を設置し、いち早く不祥事の火種を察知して、改善に繋げることを求めている。この仕組みを応用することが、高野連という大規模組織においても、SNS時代における危機管理の有効な対策になり得る。
●第3 現行制度の概要とその課題
◆現行制度の概要
「日本学生野球憲章」や、高野連が定める「注意・厳重注意および処分申請等に関する規則」によれば、加盟校で不祥事が生じた場合、学校長の責任において事実関係を調査し、都道府県高野連を通じて日本高野連へ報告が行われる。これを受けて、日本高野連は、審議委員会において、処分の要否・内容を判断する。
日本学生野球憲章には、「処分対象者は、弁明し、弁明を証明するための証拠を提出する機会が与えられるなど、自己の権利を守るための適正な手続が保障される。」との規定が置かれている。
他方で、被害生徒が主体的に申告・手続に関与できる仕組みは、明文化されていない。被害生徒は、「関係者」として「弁明書」を提出し、また、審議委員会が必要と認めた場合に、説明や証拠資料を提出することができるにとどまる。
◆現行制度の課題
学校長の責任において行う調査は、実際には、野球部の部長、監督もしくはコーチまたは生徒指導部の教員らによって行われるが、同人らは、事実認定の専門的知見を有しないことが通常である。また、学校が重い処分を受けることを避けるため、事案を矮小化するおそれも否定できない。このような調査体制では、被害生徒側の納得感を得ることは難しい。
被害生徒は、制度上、「関係者」として「弁明書」を提出できる。しかし、「弁明書」との名称からすると、その提出主体である「関係者」としては、基本的に、「処分対象者」、つまり、加害生徒側を想定した運用がなされてきた可能性がある。私の立場では実情を知り得ないが、仮に加害生徒の手続保障(それ自体が重要であることは当然である。)が偏重され、被害生徒側の意向が十分にくみ上げられない運用がなされてきたとすれば、課題があるといわざるを得ない。
以上のとおり、現行制度は、適正な事実認定や被害生徒側の納得感を担保する仕組みとして弱く、「被害を握りつぶされた」と感じる者が行き場を失い、SNS頼みになる構造的な問題を内包しているから、制度改善が急務である。
●第4 高野連への提言
◆通報窓口・調査体制の整備
私は、被害生徒側が所属校を介さず日本高野連に直接被害申告できる「通報窓口」を設置し、事案により弁護士ら第三者が調査して事実認定する仕組みの創設を提言する。
多くの企業が導入する従業員等を対象とした通報窓口とは異なるが、例えば、東京都は、都民全体を対象とする通報窓口を設けており、こういった先例を参照することで、実情に応じた窓口の設置は可能である。
その上で、当該事案に利害関係を有しない弁護士に委嘱し、被害生徒の言い分を十分聴取した上で調査を行い、責任の所在を明確にする体制を整備すべきである。
前述のとおり、「加害生徒」の中には、自ら手を出した生徒のみならず、事案によっては、暴力事案の発生を認識し、結果を回避できる立場にあったにもかかわらず、扇動などにより結果を回避しなかった生徒も含まれる場合があり得るであろう(なお、この場合、高校生の未成熟性や部内で醸成されていた空気感等を十分に考慮し、慎重な事実認定がなされなければならないと思う。)。
しかしながら、各生徒が、真にそのような立場にあったか否かを判断するためにも、弁護士ら第三者による調査が不可欠である。
その結果認定された事実をもとに、高野連において、生徒ごとに、自分自身の犯した過ちの内容・程度に見合った注意・厳重注意または処分(謹慎、登録抹消・資格喪失、除名)の制裁が科されるべきである。また、指導者への然るべき処分も当然である。
しかしながら、高野連の処分により、過ちを犯したとは認められない生徒の出場機会を奪うことは、他にいかなる理由があろうとも、正当化することはできない。
なお、報道によれば、日本高野連への報告件数は、年間1000件程度とのことであるから、それら全件の調査を弁護士に委嘱することはできない。そのため、制度設計については検討を要するが、犯罪に該当する疑いがある場合など深刻事案に限り、弁護士ら第三者に調査を委嘱することが考えられる。
以上を整備し、被害生徒が日本高野連に直接被害申告できる「正規のルート」を設けることにより、炎上を避け、被害生徒の意向も十分に汲んだ適正な結論に近づくことができる。
◆財源確保の必要性
被害生徒の保護・救済のためには、必要な調査を尽くすことが不可欠である。
この点、日本弁護士連合会が定める「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」は、調査担当弁護士に支払う報酬は、「時間制」(タイムチャージ制)を原則としている。その趣旨は、事案に応じた必要な調査を尽くすためには定額とすべきではなく、かつ、調査結果に左右されない報酬体系が相応しいためである。
この趣旨によれば、高野連が弁護士に調査を委嘱する場合においても、弁護士報酬は、時間制とすることが適切である。
企業等が第三者委員会を設置した場合、複数の弁護士が調査を担当することが一般的であり、弁護士一人当たりの稼働時間は、数百時間に及ぶことも少なくない。また、1時間当たりの単価は、数万円を下らない。
高校の現場で生じる不祥事は、企業等で生じる組織的な不祥事のように複雑な事案でないことが通常と思われる。また、公益財団法人である日本高野連の性質上、弁護士報酬(単価)に適切な上限を設けることも考えられる。しかし、以上によれば、必要な調査を尽くすためには、相応の財源を確保することが不可欠である。
私は、次に述べる方法により、財源の確保が可能と考える。
◆財源確保の方法
私は、加盟校のみならず、高校野球を愛し、応援する関係者が一丸(チーム)となって「高校球児の未来を守る」ことを目的として、次に掲げる2つの施策を柱とした「チーム高校野球みらい基金」(仮)を組成して財源とすることができるのではないかと考えている。
第1に、「部員数に応じた加盟校負担金」である。全国の高校球児は、10万人程度とされている。そこで、加盟校に対し、部員数に応じた負担金を求めてはどうか。仮に「部員数×300円」とすれば、年間3000万円の財源を確保できる。
第2に、「入場料の値上げ」である。近年、甲子園大会の総入場者数は、春夏合わせて延べ約100万人とされている。そこで、説明を尽くし、来場者の理解を得て、例えば「100円」の値上げをお願いすれば、1億円の財源を確保できる。値上げ額については、実情をもとに柔軟に設定すればよい。
●第5 未来のために
広陵高の事案で傷ついた生徒の苦しみは、決して軽んじられるべきではない。その痛みを真摯に受け止めることこそ、あらゆる改革の出発点である。その現実を受け止めつつ、かつて高校球児であった者の一人として、私が願うのは、未来の球児たちが安心して夢を追える環境を作ることである。
本稿での提言は、「たたき台」の域を出るものではない。いじめ防止対策推進法との関係など、検討すべき課題も少なくない。高野連の現行制度が、長年にわたる関係者の努力の結晶であることについても、十分理解しているつもりである。それでも、その結晶を時代に沿った次の形へ変容させることこそ、私たち大人の責任であり、世代を超えて果たすべき使命であると信じる。本稿が、その一助になれば本望である。