観光客でにぎわうエリアにある駐車場のすぐ裏手、わずか10メートルほど先の斜面を「茶色い巨体」がゆっくりと歩いていた。
まさか、こんなに近い場所で──。クマがこちらを振り返るたび、体がこわばる。もし襲われたら、どうすればいいのか。
今年10月下旬、知床半島でクマと遭遇した筆者は、無事に帰還した後、窮地で命を守る術を専門機関に尋ねた。(福原英信)
●観光地の駐車場で突然のクマ出現
研究会の帰りに立ち寄った知床半島の「知床羅臼ビジターセンター」。駐車場の端からわずか10〜20メートルの斜面に、全長1メートルのヒグマが姿を現した。
「直ちに、建物や車に入ってください!」
腰に唐辛子スプレーを下げたビジターセンターの女性スタッフが、慌ただしく観光客に呼びかける。筆者もすぐ車内に退避し、窓ガラス越しに外をうかがった。
ほどなくして黒い猟銃を携えたハンターが現れる。数時間前にも付近で目撃情報があり、捜索中だったようだ。
羅臼ビジターセンター(kumaphoto / PIXTA)
耳当てを装着したハンターの姿勢が定まると、鈍い銃声が響いた。続いて2発目。木々がざわめき、ヒジャブを被った観光客が驚きの声を上げる。スタッフが駆け寄って状況を説明する間にも、3発目の銃声が鳴り響いた。
やがてハンターは白い犬を連れ山中へ。後を追う男性がレジャーシートと黒い容器を手にしていた。無線のやり取りが飛び交う中、筆者が「クマは殺処分されたのか」と尋ねると、スタッフは「安全は確認できた」とだけ答えた。
●至近距離で遭遇したら?命を守る「防御姿勢」
もし目の前でクマに出くわしたら、どうすればいいのか。
秋田大学大学院の石垣佑樹医師らが、秋田県内で2023年度に負傷した70人を分析したところ、「うつぶせになり頭や首を手で覆う防御姿勢」をとった7人は、いずれも重症化を免れていたという。
負傷者70人の平均年齢は70歳。ケガの部位は、顔面が55.7%と最も多く、次いで手や腕が54.3%、頭部が44.3%と上半身に集中していた。
クマは威嚇や攻撃の際に立つような姿勢になるため、顔や頭を狙いやすいことが影響しているとみられる。
防御姿勢の例(秋田県自然保護課提供)
負傷者の入院期間は平均で12.8日、通院は約100日に及んだ。うち23人が複数の骨折などで重症化し、顔面神経まひなどの後遺症が残った人も11人いた。
研究チームは「人とクマの不意の接触が避けられない中で、いざという時の対応を知っておくことが重症化を防ぎ、そして命を守るために重要」と強調する。
環境省も、クマに至近距離で遭遇した場合は、体を丸め、うつぶせになって首や頭、腹部を守るよう呼びかけている。今回の研究でも、この体勢をとった人は全員が命を落とさずに済んでいる。
●クマによる被害を避けるポイント
クマによる被害が増えている背景には、いくつかの要因がある。
どんぐりの不作や、クマが農作物・生活ゴミの味を覚えて人里に近づくようになったこと、そして「里山」と呼ばれる緩衝地帯が減少していることなどだ。
防御姿勢の例(秋田県自然保護課提供)
人とクマの距離が近づく今、被害を防ぐには「遭遇前」「遭遇時」「至近距離」という3つの場面ごとに冷静な対応を心がける必要がある。
環境省は、次のように行動のポイントを示している。
(1)遠くにいるクマに気づいたとき
静かにその場を立ち去る。
急に大声を上げるなどをすることはクマを驚かせるため危険だ。
(2)近くにいるクマに気づいたとき
落ち着くことが大切だ。
クマが気づいて向かってきて、 本気で攻撃するのではなく、すぐ立ち止まっては引き返す行動を見せる場合もある。この時は、落ち着いてクマとの距離をとるとクマの方から離れることも多い。ただし、背中を見せて逃げ出すと攻撃性を高める場合があり、クマを見ながらゆっくり後退する、静かに語りかけながら後退する、など落ち着いて距離をとるようにする。
(3)至近距離で遭遇したとき
クマによる攻撃などの危険が高い。
クマ撃退スプレーの使用やうつぶせになり頭や首を手で覆う防御姿勢をすることで、被害を最小限にすることができる。