元タレントの中居正広さんによる性加害問題で、フジテレビは関係した社員らの処分を6月5日に公表した。
被害をうけた元アナウンサーの女性社員に中居氏から頼まれて見舞金を届けるなどしていた当時の編成部長の処分が注目され、「解雇もありうる」と囁かれていたが、実際にはそうはならなかった。
フジテレビの処分は、社内外にどのようなメッセージとして受け止められるのだろうか。(テレビプロデューサー・鎮目博道)
●懲戒解雇と4段階降職では天と地の差「楽勝」
フジテレビの今回の処分を聞いて「納得のいく処分だ」とは思わなかった。株主が提案した取締役人事案を全否定するなど最近のフジテレビの姿勢を見ていると、この程度の処分にとどまるだろうと思っていた。
ただ、言われのないバッシングを受けながら、実のところは現場で奮闘しながら対応してきたアナウンス室部長の名誉は守られた。
このアナウンス室部長を守らなかった上司たちの責任は問われていて、これは適切な処分であると言っていいだろう。
やはり大きな問題があると感じるのは、当時の編成部長の処分だ。
私はコンプライアンスの専門家ではないから、中居氏の見舞金を女性に渡そうとしたり、弁護士を中居氏に紹介するなど、被害女性への「二次加害となり得る不適切な行為」をしながらも、それでも「4段階降職と休職1か月」とした処分が適切かどうかわからない。
それでも、テレビ業界人の感覚としては「重い処分が下った」とはとても思えない。むしろ、この処分がフジテレビ社内に、どんなメッセージとして受け止められるのかが心配でならない。
多忙なテレビマンにとって「1か月お休みしていい」というのは、むしろ「いいチャンスだから少しゆっくりするか」程度の響きしかない。
4ランクダウンは若干厳しそうにも聞こえるのだが、それでも会社にさえ行けばフジテレビの高給が保証されるし、あと数年耐え抜けば、世間から見れば驚くほど高額の退職金がめでたく手に入る。懲戒解雇と降格とでは天と地ほどその重さが違う。まあ、この程度の処分なら「楽勝」だ。
●フジテレビは根本的に変わろうとしていない
しかもこれ、実は既視感のある処分だ。他の局の話だが、これまでにも結構な大問題を起こしながら、この程度のゆるい処分で終わり、数年したらいつの間にか結構出世していた、という例をいくつか知っている。「よくテレビ局がやる感じの処分」なのだ。
そもそも、テレビ局は極端な派閥社会なので、局の有力者に好かれている人間は、多少の不祥事を起こしてもまた再び浮かび上がって来られる。
「元編成部長」は、編成部長だったくらいなので、フジテレビの最有力派閥に属し、ボスからの寵愛めでたい人物だっただろう。その人物が「ゆるい処分」で済まされたという状況からは、あることが容易に推測できる。
日枝久氏が引退したとはいえ、いまだに「フジテレビのメインストリーム」はそのままである。
フジテレビは根本的に変わろうとはしていない。
これが白日の下に晒されたのではないか。事実かどうかはさておき、少なくともフジテレビ社員の多くはそう感じたはずだ。
現経営陣が本気で「日枝体制の一掃」を図っていたら、元編成部長にこんな温情処分では済まされないだろう。
●スキャンダルがぶちまけられたっていいじゃないか
おそらく現経営陣は「元編成部長を社内から追い出す」ことのリスクを考えたのではないか。元編成部長は「フジテレビ主流派の大ボスの言うことを忠実に聞いて動いた中ボス」とも言える。
会社から追い出せば、「悪かったのは俺だけではないのに、俺だけを切るのか」という話になる。下手をすれば、フジテレビ社内のスキャンダルをぶちまけるかもしれない。裏から表までフジテレビの内情をよく知っているはずだ。
もちろん、現経営陣が「膿を出し切って、大改革する」覚悟を持っていれば、スキャンダルを洗いざらいぶちまけられても問題はないはずだ。しかし、そんな覚悟はないから、今後も社内に留め置くことで口を封じたほうがよい。そんな思惑が透けてみえる。
フジテレビは根本から変わるどころか、「芯の部分をできるだけ残すために、一生懸命表面的な部分を整えて、外面的な見栄えを良くしようとしているだけ」だというメッセージがフジテレビ社内には伝わってしまうのではないか。
●新番組から感じられない改革の意思
フジテレビ社内には、若手社員たちを中心に「なんとか変わらなければ」という熱い改革の意思を持つ人物も多いと聞く。
しかし、問題発覚以降に始まったフジテレビの新番組からは、何も「新しいフジテレビの姿勢」を感じることが私にはできない。むしろ旧態依然とした無難な新番組は、昔に戻ったかのようだ。「変わらないという意思」すら感じてしまう。