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「扉をたたく音がドンドンドンッ」東京大空襲を語り継ぐ 戦後80年の夏、3人の語り手がデビュー
2025年06月30日 11時22分

1945年3月10日の東京大空襲の資料を展示する、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)が、後世に空襲の体験を伝えようと、語り継ぎ手の育成に取り組んでいる。戦後80年のこの夏、2年以上かけて語り継ぎを学んだ3人の継承者が誕生する。6月21日、継承者の1人が初の公開練習に臨んだ。(ライター・田中瑠衣子)

1945年3月10日の東京大空襲の資料を展示する、東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)が、後世に空襲の体験を伝えようと、語り継ぎ手の育成に取り組んでいる。戦後80年のこの夏、2年以上かけて語り継ぎを学んだ3人の継承者が誕生する。6月21日、継承者の1人が初の公開練習に臨んだ。(ライター・田中瑠衣子)

●東京大空襲の日に、6歳になった女の子の体験

「(防空壕の)扉をたたく音がドンドンドンッ ドンドンドンッと激しくなり『中に入れろー!』『ドアを開けろ!』と大声で叫ぶ怒声に変わっていきました。その声は全て女の人の声だったと記憶しています」

東京大空襲の体験を語り継ぐ、兼坂壮一さん(62)の声が室内に響く。

「静子ちゃん6歳の誕生日」と題した語り継ぎは、1945年3月10日、東京大空襲の日に6歳の誕生日を迎えた西尾静子さん(86)の体験だ。

西尾さんの自宅は旧深川区(現・江東区)で、医師の父は医院を開いていた。

母から前日に「明日はお誕生日だから、特別にお赤飯を炊きましょうね」と言われ、とても楽しみだった夜、西尾さんは父にたたき起こされた。

負傷者の救出に向かう父と別れ、母と避難した工業学校の地下防空壕は、くるぶしぐらいまで水が張っていた。冷えないよう母がおんぶしてくれた。

画像タイトル 兼坂壮一さん

冒頭の「ドンドンドンッ」と扉を叩く音は、西尾さんがこの地下防空壕で聞いた音だ。

「静子ちゃんは、大人はなぜ、扉を開けてあげないのだろうと思っていました。もし、そのときに扉を開けていたら火や煙が防空壕の中に流れ込んできて、静子ちゃんを含め、防空壕の中にいる人たち全員がひとたまりもなく死んでしまっていただろうと思います。結局、扉を開けませんでした。静子ちゃんはその恐ろしい叫び声を聞きながら、必死にお母さんの背中にしがみついていました」

一夜明け、西尾さんが地下防空壕から外に出ると、扉の前には防空壕に逃げようとしていた人の遺体が重なっていた。大好きだった従姉妹も空襲で亡くなった。両親の故郷の岐阜県に疎開したがショックで、しばらく話すことができなくなった。自身の体験を語り始めたのは60歳になってからだ。

兼坂さんは、西尾さんの自宅や避難した工業高校までの経路、静子さんが描いた父との再会の絵のスライドを映し出し、聴き手がイメージしやすいようにした。語りは40分ほどの構成だ。

●「身内の供養をするためにも、体験を語り継ぎたい」

東京大空襲・戦災資料センターが、継承者育成プログラムを立ち上げたのは2023年度から。現在、センターのガイドやボランティアら7人が参加している。

空襲から80年がたち、体験者は当時10代以下だった子どもが中心だ。プログラムの責任者・小薗崇明さんは「当時、子どもだったからこそ、空襲で聞いた音など鮮明に焼き付いている記憶があります」と語る。

今回、語り継ぎをした兼坂さんは、都内の私立中高一貫校の国語の教員を32年間務めた。修学旅行で生徒たちを広島や長崎、沖縄に引率するたびに、被爆者や沖縄戦を体験した語り部たちが亡くなっていくのを見て、危機感を持ったという。

兼坂さんは祖母と叔父、叔母を東京大空襲で亡くしている。「身内の供養をするためにも、身内が住んでいたすぐそばで東京大空襲を生き延びた西尾さんの体験を語り継いでいかなければ」と、育成プログラムに参加した。

西尾さんの講演を何度も聞き、空襲を体験した場所を一緒に歩いた。知識を深めるために戦争に関連する本を読み、大学院以来というレポートも書いた。

兼坂さんは言う。

「私の主観が入り、西尾さんの体験をゆがめることはあってはならないと、一言一句、細かい部分を確認してもらいました」

歴史学者で一橋大学名誉教授の吉田裕館長ら、センターのスタッフたちにも見てもらい、台本に仕上げた。

2年ほどかけて完成させた台本の最後は、西尾さんがいつも孫に語っている言葉で終わる。

「平和のために何をしたらいいか?何が出来るか?を常に考えてね。そして、おばあちゃんが話したことをあなたの子どもたちにも聞かせてあげてね。そうすれば、きっと平和な未来につながっていくと思うから」

画像タイトル 東京大空襲を体験した西尾静子さん

●7月にも公開講話を開催

この日は小学生や20代など若い人も語り継ぎに聴き入り、多くの感想や質問が上がった。

体験者の西尾静子さんも、客席から兼坂さんを見守った。

「(語り継ぎは)本人ではないので、質問に答えられない場合もあるなど限界はあります。それでも、消えゆくものを伝える方法としてとてもいいと感じました」

画像タイトル 東京大空襲・戦災資料センター

初めて公開の語り継ぎを終えた兼坂さんは、こう振り返った。

「防空壕の扉をたたく場面など、聴き手が引き付けられているなと手応えを感じました。でも、歴史的事実を説明する『お勉強的なところ』は少し飽きている印象もあり、工夫します」

今後は高校で語り継ぎを行う予定もあり、聴衆の年代などに合わせて語り口や構成に手を加えることも考えている。

語り継ぎは8月から本格的に始まる。東京大空襲・戦災資料センターは7月5日と7月19日にも同センターで語り継ぎの公開練習を開く。

東京大空襲 1945年3月10日未明、米軍のB29爆撃機が、低高度から東京の下町に1665トンに上る大量の焼夷弾を投下した空襲。強風で大火災となり、本所区(現・墨田区)、深川区(現・江東区)、城東区(同)全域をはじめ下町の大部分を焼き尽くした。罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人。焼死、窒息死、水死など10万人を超える人たちが亡くなった。

【参考文献・サイト】
東京大空襲・戦災資料センター図録(吉田裕監修 合同出版)
東京大空襲・戦災資料センター 「1945年3月10日の下町大空襲」
https://tokyo-sensai.net/about/tokyoraids/

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