海からあがってきたばかりの韓国人ダイバー、金京洙(キム・ギョンス)さんが両手に抱えていたのは、ビニール製トートバッグ。その中には、カーキ色のプラスチックケースが収まっていた。
キャンプ用品や食品保存に使う、ごくありふれたケースだ。それなのに、この日ばかりは、まるで神聖な箱のように思えてならなかった。
金さんが静かにケースのふたを開けると、周囲の空気が止まった。次の瞬間、歓声とも悲鳴ともつかぬ「うわっ!」という声が一斉にあがる。中にあったのは、真っ黒に変色した頭蓋骨。歯も形もほとんど損なわれていない。
山口県宇部市の床波海岸にある長生炭鉱跡地。今年8月25日、海底坑道でおこなわれた潜水調査の中で、人骨が発見された。1942年の崩落事故で、朝鮮半島出身者136人、日本人47人、合わせて183人が命を落とし、そのまま83年もの歳月が流れた場所だ。
25日には左大腿骨、上腕骨、橈骨(肘から手首の内側の骨)が見つかり、翌26日、ついに頭蓋骨が引き揚げられた。夏の陽を浴びて光るその骨を見ながら、私は前日と同じように思った。「なんてしっかりした骨だろう。きっと若い男性だったに違いない」と。
遺骨発見は、長年にわたり犠牲者の調査と慰霊を続けてきた市民団体「長生炭鉱の水非常を刻む会」(刻む会)と、遺族たちの悲願だった。
「183名の尊い命を、この世にもう一度出すことができて、本当に感謝しております」
頭蓋骨の前で、日本人遺族のひとりが、声を詰まらせながらそう語った。金京洙さんとともに潜水した金秀恩(キム・スウン)さんによれば、周辺でさらに4体分の遺骨が確認されたという。映像には、作業靴を履いたまま、半身に近い姿で残る遺骸も映っていた。
水の底で息絶える恐怖と絶望は、どれほどのものだったのだろうか。(ライター・朴順梨)
●水深42メートルに眠る者たち
山口県宇部市にかつてあった長生炭鉱は、1932年に本格操業を開始した。戦時下、日本の産業を支えた石炭は、国策として増産を迫られ、1939年から1941年にかけて朝鮮半島から多数の労働者が集められた。在日朝鮮人運動史を研究する長澤秀氏によれば、その数は1200人を超えていたという。
二交代制のもとで寮生活を強いられ、脱走を防ぐための監視下に置かれる──。過酷な労働のさなか、1942年2月3日、坑口から約1100メートルの地点で落盤が発生。坑道は一瞬にして水にのまれた。136人の朝鮮人と47人の日本人が命を落としたが、坑口は直後に塞がれ、1945年の閉山を境に、その記憶も人々から消えていった。
1976年、高校教諭だった山口武信さんが『宇部地方史研究』に寄稿した一編の論文をきっかけに、歴史を掘り起こす動きが始まる。1991年、『長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会』が発足。犠牲者や遺族を探し、地域調査や政府交渉などを重ね、2013年には日韓双方の犠牲者の名を刻んだ追悼碑も建立した。
遺骨発掘が最大の願い──。その声が、刻む会を再び動かした。
2本のピーヤが右側奥に見える、長生炭鉱の坑口
●海底から遺骨を抱えて戻ってきたダイバー
2024年9月25日、刻む会はついに坑口の位置を特定した。
そこは床波海岸から突き出る「ピーヤ」と呼ばれるコンクリート柱から道路を隔てた地下20〜30メートル地点だった。7月から潜水調査を始めていた水中探検家、伊左治佳孝さんが2025年4月までに3度の潜水を実施。坑口から約200メートル先で崩落を確認し、側道も断たれている可能性が高いとわかった。
それでも希望は消えなかった。沖のピーヤ側からの潜水調査では、地元ダイバーの戸田政巳さんが中心となり、内部に残留する木材などの堆積物の除去作業と並行。6月から8月上旬にかけて、伊左治さんは安全確保のための設備設置と単独での潜水調査を進めた。
坑口から約500メートル地点でレンガ造りの門を発見。その約20メートル先でも崩落が確認されたが、「より奥に進めた」こと自体が遺骨発掘へのたしかな一歩だった。
8月25日から3日間、直前に左腕をケガした伊左治さんに代わり、韓国人ダイバーの金京洙さんと金秀恩さんが調査に臨んだ。
「遺骨発見はまだ先だろう」。誰もがそう思っていたに違いない。私もまた、そう感じていた。しかし、3時間を超える潜水の果てに、2人は水深42メートルの海底から遺骨を抱えて戻ってきたのだ。
左から伊左治佳孝さん、金秀恩さん、金京洙さん
●DNA鑑定はいまだおこなわれず
「刻む会の方々の努力が報われ、ご遺族も喜んでくれるだろう。潜っているのは私だけではなく、現地のダイバーやたくさんの人とともに取り組んできたことなので、結果が出せて良かった」
床波海岸近くのダイビングショップで知らせを受けた伊左治さんは、まずそう思ったそうだ。
「坑口から約500メートル地点に4体分の遺骨がありましたが、事故現場は約1100メートル地点です。そこにいた多くの方が逃げる間もなく亡くなったと考えられてきました。今回の場所で遺骨が見つかったということは、そこまで逃げてこられた方々がいたということ。つまり、同じ場所周辺でまだ他の方々の遺骨も見つかるかもしれません」(伊左治さん)
ただし、誰の骨なのかはまだわからない。韓国政府と刻む会が収集したDNA試料は合わせて83人。犠牲者の約半数に相当する。それでも10月21日時点でDNA鑑定は一度もおこなわれていなかった。遺骨は山口県警察科学捜査研究所に留め置かれたままである。
●「へその緒などがなければ本人特定しがたい」と警察庁
9月9日、刻む会は厚生労働省、外務省、警察庁と政府交渉をおこなった。前回の交渉で外務省が「DNA鑑定や安定同位体検査にかかわる各省庁間の調整は、内閣官房によっておこなわれる」としたため、当初は内閣官房に参加を打診した。
しかし、内閣官房から「山口県警において遺骨の鑑定がおこなわれている現状を、予断をもって回答することが難しい」との返答があり、鑑定と身元確認にあたる警察の意見を聞くべく、警察庁にも対応を依頼したかたちだ。
鑑定のプロセスはどうなっているか。また、沖縄戦の犠牲者の遺骨調査で採用されている安定同位体分析(骨に蓄積される炭素や窒素の同位体比により、生前の食生活などから身元を探し出す調査)が科捜研でできるのか──などの質問があがった。
刑事局捜査第一課・検視指導室長の阿部大輔警視正は、遺骨の身元を特定するためには遺骨を切断してDNA採取をする必要があること、へその緒など本人の生体試料が必要となり、親族から採取したDNAでは「この遺族の犠牲者かもしれない」ということしかわからず、身元特定にはつながりがたいと答えた。
政府交渉のあとで改めて阿部警視正に質問すると、警察庁のDNA鑑定では、へその緒など本人の試料が必要だと繰り返した。
「およそ10年程度前に亡くなった人なら何らかのものが遺されているとは思うが、それ以上前に亡くなり試料もない場合は、遺族のDNAでは完全な身元特定には至らない」「(安定同位体検査については)戦時中のアメリカ兵など、日本に住んでいた人と明らかに食べ物などが違う場合は有効だが、植民地下の韓国人と日本人では差異がほぼないのではないか」
では、現在進められているペリリュー島(パラオ共和国)での遺骨収集なども、生体試料がなければ身元特定はできないのではないのか。そう問うと、ペリリュー島での遺骨収集は厚生労働省の管轄であり、警察庁としては先にあげた要件を満たす必要があるという回答だった。
●国は調査に消極的な姿勢を示している
次回調査のためのダイバー招へいや、ピーヤ内部に残る鉄管などの除去にかかる費用を補正予算として計上してほしいという申し出について、厚労省(職業安定局人道調査室・村田裕香室長)は次のように回答した。
「80年以上前に落盤事故があった海底炭鉱で調査発掘することにおいては、これまでも繰り返しているように安全性に懸念があると考えている。また専門的な知見を有する方に話を聞いたが、現時点では安全性の懸念を払拭する知見は得られていない。そのため今後の潜水調査に関する財政支援などの検討を進める状況にはなっていない」
外務省は「韓国政府と意思疎通をしながら、外務省、警察、厚労省と相談をしてご指摘を踏まえたうえでプロセスを進めていきたい」と前向きな姿勢を見せたものの、厚労省は「寺院などに保管されている、戦時中に亡くなった韓国人の遺骨は返還手続きを取るが、可視化されていない遺骨には関与しない」という姿勢を崩すことはなかった。
そんな中、10月15日、山口県宇部警察署から「刻む会」に対して、DNA型データの提出要請があった。これを受けて再びおこなわれた政府交渉の場で、刻む会から警察庁に31人分のデータが記録されているUSBが手渡された。
しかし、警察庁の阿部警視正はこう説明する。
「刻む会がどういった調査をしていてどういう結果になったのか、あくまで参考とするための確認として受け取った。将来的にどこの機関がどうDNA鑑定を進めるかは、韓国側の意向をまずは聞いてそれを踏まえたうえで、関係省庁と連携して進めていく」
つまり、誰の責任で、どのような手続きでDNA鑑定を実施し、遺骨を返還していくのか、その枠組みはいまだ固まっていない。
各省庁は「韓国側との意思疎通を進めている」と説明するものの、具体的な進捗については「相手方もあるので具体的に答えられない」と口をそろえる。
刻む会は、12月下旬までに動きが見られない場合、法に抵触しない範囲で自らDNA検査を進めることも辞さない姿勢を示している。
厚生労働省に質問事項や要望を手渡す「刻む会」共同代表の井上洋子さん(中央左/10月21日)
政府交渉から9日経った9月18日、厚労省人道調査室へ説明した伊左治さんに、改めてなぜ国側は調査に消極的な姿勢なのかと問うと、伊左治さんはこう述べた。
「遺骨は発見された時点で日本人のものとわかっていれば、警察の管轄ですが、戦没者遺骨の収容事業は、厚労省の管轄と聞いています。人道調査室と話したところ、その対象は、寺社に納められている遺骨のうち、現在韓国にあたる地域の出身者のものだけで、それ以外は警察の管轄になると聞いています。
したがって、人道調査室が窓口となっていることにそもそも違和感があります。これは推測ですが、どの部門が責任を持ち対応すべき話なのかを決めかねていて、どの部門も自分の話とはしたくないと考えている結果、このような状況になっている可能性があると思いました」
●ピーヤに残る構造物こそが「ダイバー」を危機にさらす
厚労省側は9月9日に「落盤事故により亀裂が入り、坑道内に海水が入り込んでいるため安全性に懸念があるから財政支援を検討しない」と説明したが、刻む会側が宇部炭田の特徴を熟知する専門家に尋ねたところ、「長生炭鉱の地層は地下水を大量に含んだ地層であり、海水が地層内に入り込むことはない」との回答を得ている。
厚労省側は「落盤事故により亀裂が入り、坑道内に海水が入り込んでいるため安全性に懸念があるから財政支援を検討しない」と説明したが、伊左治さんは現時点で一番危険な箇所はピーヤ内で、壊れた構造物が堆積した状態こそが、最もダイバーを危険にさらすことにつながると語っている。
「8月上旬と下旬の調査の間に、ピーヤ内に残された300キロもの重さがある鋼管が底に落ち、ピーヤの底部分にある坑道入口が塞がるということが起きました。誰もピーヤ内にいなかったタイミングでしたが、潜水調査中に落下していたら、ピーヤから出ることができず命を失っていたかもしれません。
ピーヤ内にはまだ、鋼管や木材などの構造物がいくつも残されています。なぜ残っているかというと、除去には費用がかかり、坑道に入れるところまでは撤去できたものの、完全な除去を実施するためには刻む会の予算が足りなかったからです。
ただ、厚労省と9月18日に話した感触としては、財政支援などを完全に拒否というほどのニュアンスも感じられませんでした。おそらく韓国政府との協議により、対応を変える余地を残しているのではないでしょうか」(伊左治さん)
次回の潜水調査は2026年1月末から約2週間を予定しているが、刻む会が完全撤去のための予算を確保する前に、地元ダイバーの戸田さんと塚田哲夫さんはピーヤ内の構造物除去に取り掛かっている。戸田さんと塚田さんの2人で作業しているため、今から着手しておかないと2月に間に合わない可能性があるからだ。
「当初は木材だけではなく、工事現場で使われる単管パイプもあると聞いていたので、撤去作業は進めやすいと思っていました。しかし実際にピーヤ内に入ってみたら木材ばかりでした。木材は吸った水分により、陸の重量よりも遥かに重くなります。
1メートルほどの木材であったとしても、到底片手では持ち上げられません。なのに2メートル、中には3メートルもある木材がゴロゴロ転がっていました。今は完全に人力で2人で作業をしていますが、本当はもっと人数を増やせたらと感じています」(戸田さん)
8月には視界が5〜10センチ程度の中で作業をしていたところ、鉄管が崩れ落ちるアクシデントが起きた。バランスが崩れることで他の鉄管も下部に落ちてしまうと、ダイバーが坑道に入れなくなる。総重量100キロを超える5メートルの鉄管が一番崩落の可能性が高いと踏んで、2人は水面まで引き上げ、4分割してから撤去した。
「本当はピーヤの上にやぐらを作り、滑車をかけて船のローラーで巻き上げていく方法が一番確実です。しかし、やぐらを組む時間が必要になるため、今は人力で、坑道入口よりも上にある構造物の撤去を進めています。入口真上のものは取り除けましたが、入口から見て反対側にあたる部分は、9月末時点ではまだ手を付けられていません。
経験者の伊左治さんならそれでも進入できると思いますが、視界がほぼないので、初めての人が当たってしまう可能性を危惧しています。ただ、これまでに何度か作業してきたので、浮力やチェーンブロックを使えば200〜300キロのものでも手作業で揚げられるようになりました。それでも横穴まで水深約34メートルと深さもあるので、作業にはリスクが伴います」(戸田さん)
構造物除去作業を進めるダイバー、戸田政巳さん(左)
●「10人、20人と見つかれば、国も動かざるを得ないはず」
海底に静かに眠っていた遺骨は、地上にあげられ空気に触れたことで、急速に劣化が進む可能性がある。遺族の多くはすでに高齢で、他界した人もいる。韓国遺族会会長の楊玄(ヤンヒョン)さんは、遺骨発見をずっと切望していたが、いざ見つかったら喜びや嬉しさよりも、胸を締めつけられるように痛んだ。
「83年もの間、冷たい海中に放置されていた遺骨が引き揚げられた瞬間、胸が張り裂け、涙が視界を曇らせました。毎回追悼祭行事のたびに、海中にぽつんと立つ2本のピーヤを見つめながら、父を想って声を枯らして呼びながら泣いていた遺族たちの姿が浮かんだからです。
父親に会いたいと恋しく願っていたのに、長い歳月を待ちきれずに先立たれた方々と共にいられなかった。それが申し訳なく、悔やまれる気持ちを抑えきれません」(楊さん)
それでも政府側は現地を訪れていない。楊さんは、会議室だけで安全性を議論するのではなく、政府が介入して安全性を確保しながら、調査を進めることを強く願っている。
一方、伊左治さんも戸田さんも、必要なものは活動資金だと口をそろえる。坑口探しから遺骨発見にいたる複数回の潜水調査まで、費用はすべてクラウドファンディングや寄付などでまかなってきた。
遺骨が見つかったことで次回は海外から6人のダイバーを招き、複数での調査を予定している。刻む会は約3500万円かかると見積もっているが、うちピーヤ内の除去作業には、800万円が必要だとしている。
現在進めている4度目のクラウドファンディングでは、すでに600万円近く集まっているが、寄付も含めて2100万円集めることを目標だ。民間企業での事故とはいえ、戦時中の石炭の採掘は、国策で進められていた。直接の関与が無理だとしても、安全に作業を進めるために国は力を貸す余地はないのだろうか。
「すでに4人の遺骨が見つかっていますが、それで国が動かなくても、10人、20人と見つかれば、もう黙ってはいられないはずです。潜水で到達できる範囲に遺骨があることがわかった今こそ、ようやくスタートラインに立ちました。
『犠牲者がかわいそう』という人情だけでは、動けない部分があるのはわかっています。だから安全と尊厳を守るために、粛々と作業を進めようと思います。そうすれば、きっと状況が変わると信じていますから」(戸田さん)